「Adult Attracted Minor」補遺

 Juan.Bさんの同人誌『MIX FRONT』準備号にお声掛けいただき、寄稿しました。一般書籍ではお目にかかれない奇跡の傑作誕生を記念し、典拠など誌上で割愛した部分をここに掲載します。今月(2023.11)発刊ですが、昨年9月の作であるため、リンク先の現在については保証できません。

AAM (Adult Attracted Minor)

 成年に惹かれる未成年概念の理解は児童愛運動系サイトNewgon Wikiに拠った。性交に惹かれない者も包摂する概念なので、私も元AAM。

https://www.newgon.net/wiki/Adult_Attracted_Minor

名称自体は2018-9年頃流布

 上記URLにある記述だが典拠はない。試しにAdult Attracted Minor で期間指定検索してみた(22.9.22)。Googleでは18-9年になって児童愛絶対虐待視なページが少しヒットするようになる。Twitterでは18.12.5が最古で絶対虐待視の文脈。AAM自身や児童愛者による発信は絶対虐待視により消される運命にあり残り難い傾向。なお、Newgon Wikiによると初出は06.5であり、児童愛者による以下の英語ブログ(06.5.25)に一箇所adult-attracted-minorsとあるのみ。

https://web.archive.org/web/20060610193208/http://theboyloveblog.blogspot.com:80/

80年代以前、児童愛解放論が前衛運動であった頃、機関紙でとりあげたり活動家の少年なんかもいた

 このざっくりした区分は、Frits Bernard「オランダの少年愛運動」(日本の少年愛者による訳)が念頭にある。曰く「1980年代には、小児性愛者達を病人で刑事犯の犯人として取り扱うことが受け入れられるようになった。」

http://web.archive.org/web/20040527041001/http://members.at.infoseek.co.jp/martijn/Bernard.html

 Bernardは心理学者。戦後すぐゲイ運動内で少年愛を擁護し60年代頃には排除され始め、自らの財団で活動した。

https://www.gay-news.com/article/1574/Frits-Bernard--Dutch-Pioneer-Of-Boy-Love-Emancipation--Dies-At-86/

 なお、世界一知られた蘭国の児童愛運動体MARTIJNのサイトをみると82年結成で、86年のユトレヒト大学心理学者Theo Sandfortによる少年AAM調査の抜粋もあった。まだ運動が成立していた年代でもあるのだった。

https://web.archive.org/web/20070805020515/http://www.martijn.org/page.php?id=200000

 仏国の以下の記事は児童愛を虐待視する立場だが、70-80年代にサルトルやフーコーら知識人が少年愛を擁護したと指摘する。90年代ベルギーのマルク・デュトルー事件が真の転機となりペドフィルの本性が発見されたそうな。

https://www.franceculture.fr/societe/quand-des-intellectuels-francais-defendaient-la-pedophilie

 より知られた話では、英国での会議から発足した国際レズビアン・ゲイ協会(ILGA)が93年に国連の諮問機関の資格を得た際、米国議会はILGAにペドフィルがいる限り国連負担金を払う必要なしと言い出す。94年に国連はILGAの資格一時停止で対応し、ILGAは児童愛者人権団体の除名で対応。斯くして児童愛絶対虐待視は固定化していく。

https://www.nytimes.com/1994/09/18/world/un-suspends-group-in-dispute-over-pedophilia.html

 さてAAMだが、先述したような学術的調査のほか、児童愛運動の機関紙等にも登場した。78年結成の米国NAMBLAの場合、81年にAAMらの発言集を刊行。巻頭言曰く団体のデモやラジオにもAAMは登場した。以下は本書の目次。

http://web.archive.org/web/20040404065433/http://www.bway.net/nambla.org/boys.htm

 運動家の例では、結成当初のNAMBLAに参加したビル・アンドリエットも15歳。以下は30代の頃のインタビューで、インタビュワーは児童愛に反対する立場。これによると、初期構成員は34人の成人男性と10代の少年少々で、彼は14歳頃に22歳男性の恋人がいたという。

https://bostonphoenix.com/alt1/archive/styles/96/10/NAMBLA.html

 自らの青少年期を振り返り成人に惹かれたことを肯定的に評価する思想もあった。例えば、反同化主義のゲイ運動家ハリー・ヘイの83年の講演。既に運動主流は彼のこの思想に迷惑した時代。以下はNAMBLAによるその講演記録。

http://web.archive.org/web/20220806083515/https://www.nambla.org/nyu1983.html

 往時は少年愛且つゲイに偏ったトピックが目立つ。存したのは児童愛運動というより、孤立しがちな未成年ゲイに関わる運動だったといえるかもしれない。しかしいま性差も成長段階差も性行為形態差も無視して「児童」「性虐待」で済ませるべきである限り、これら偏ったトピックでも70-80年代に児童愛運動とAAMが存した例たりえる。

 AAM且つレズビアンなら、78年米国Sky先輩(15歳)による反・性交同意年齢の文書もある。79年米国匿名先輩(13歳で成人女性と性愛したそうな)は同意年齢からの解放を児童の権利の一つとし、一つに偏る男性をも批判する。

https://archive.org/details/OutOfTheMouthOfBabes_20190320

 成人女性や異性愛の児童愛運動史もあるが、下記ブログのコメントで英国の児童愛運動家トム・オキャロルは少女愛運動を80年代以後のことであり、しかも70年代は少女愛者をヘテロ由来のhetsと呼んでいたというから、少女愛且つレズビアンや少年愛且つ異性愛の席もなかったと思われる。より禁忌だったのか、むしろ隠れえたとみるべきか。いわば80年代にゲイ運動からの排除が熟す頃から各児童愛の連帯が熟したわけで、70年代の前衛的知識人去りし後のほうが前衛に出揃ったともいえようか(もちろん運動壊滅期でもあるが)

https://heretictoc.com/2022/05/17/maps-are-queer-but-are-we-in-here/

Webの普及後には、個人サイトやフォーラムで権利主張するAAMが出現

 Newgon Wikiによれば本物のAAMらしい先輩方の主張は以下に例がある(Sky先輩らWeb以前のAAMにも言及)。

https://www.newgon.net/wiki/Youth_Perspectives

 なお、本物のAAMらしい後輩方の主張もWebに現れては消されているが安全上明示しかねる。同じ理由で先輩方の一部にも言及しえない。権利運動潮流とは別個にAAMが主張表現する形態なら英仏蘭米より活発な地域もあったろう。

 社会運動をするAAMは珍しいが、AAM自体は珍しくなく、反・同意年齢の未成年はさらに珍しくない。上記サイトにもある通り、00年12-6歳の英国少女らによる同年齢少女42000人に対するアンケートでは87%が16歳から引き下げるべきと回答したという話がテレグラフ紙サイトにもある。もし本当でも特に驚きはない。

https://web.archive.org/web/20090617215641/https://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1376140/Girls-say-teenage-sex-campaign-is-out-of-touch.html

 少女らが政府にこれを伝え大臣からも激励されたと地方紙サイトにあるのは驚く。あるいは幼稚扱いゆえに?

https://web.archive.org/web/20090617214940/http://archive.thisiswiltshire.co.uk/2000/12/2/230312.html

運動が盛んでフェーズが最も進んだオランダはいま「罪を美化した罪」で実刑

 これは児童愛運動寄りの見解。検察寄りの見解は「違法団体を継続した罪」。14年にMARTIJNは最高裁で違法団体として解散を命じられた。22年に元MARTIJN会長らのWeb上での児童愛「美化」言論を「継続」策動として実刑判決(当然これで終わる話でなく、ペドフィル狩り団体や政治家らは判決をもとにさらなる違法化実績を積む流れ)。元MARTIJN会長の発信は以下。

https://web.archive.org/web/20220702034540/https://marthijn.nl/p/230

 当事者発信以外では、A.H.J Dautzenbergによる以下の記事にあらましがある(児童愛者でもなく児童愛解放論も不支持だが言論弾圧への抵抗でMARTIJN会員だった変わり種の作家)

https://www.tzum.info/2022/03/opinie-a-h-j-dautzenberg-verboden-verbeelding/

 彼らは指摘しないが団体違法化の経緯には性犯罪醜聞群もある。煩瑣なのでここではWikipediaから孫引きする。

https://en.wikipedia.org/wiki/Vereniging_Martijn

 しかしこれをみても、団体違法化の経緯自体「罪を美化した罪」とも言える。10年頃に会員の性犯罪醜聞が数件出て、政治家やペドフィル狩り団体が反MARTIJNを売りにする方式は整ったであろうが、MARTIJNに組織犯罪はなく、司法判断も二転三転。12年に出た違法化支持の判決にしても、組織犯罪性を主張自体に求めている。

 以下はこの判決を伝える蘭国のWebニュース。組織として児童との性的接触を実現していなくても「児童との性的接触を追求」する主張自体「社会通念に相反」し「児童らの健全性に影響を与える」組織的行為と認定した様子。問題提起自体への強制力行使を許すこの認定が、最も盛んな遵法闘争の一結果である。

https://www.nu.nl/binnenland/2845352/rechtbank-verbiedt-pedovereniging-martijn.html

※DeepLとMicrosoftの自動翻訳機能を頼りながら参照したため、翻訳ミスや虚偽に気づいていないおそれがある。

※なお、児童愛絶対虐待視の人のなかには、児童愛解放論には単一の教典があるのではないかと考える人もいるようである。そんなかっこいい闇の教典みたいなものは存在しないだろうことを念のため付記しておく。

 言論統制しても児童愛解放論くらい思いつく。出生前診断してもAAMくらい生まれ続ける。

 それらを強制力で黙らせ続け、強制力に媚びない系Minorから「ああそのていどの社会」と見限られてなお、児童愛者とのAttract勝負を正々堂々闘えないほど、認知正しき、dultたちの世界は魅力がないのだろうか。プラトニックでありながらにして「罪を美化した罪」で圧殺されそうな身の上も忘れ、いっそ憐れに思えてくる。

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