(少年愛の意味での少年になるという大志を抱いた砂井少年15歳。美容や志操に磨きをかけるため絵日記をつけたり、彼氏と出会うため計画を立てるが・・・)
遺留品 : 砂井少年15歳の
![]() ゆかたはおばあちゃんにもらったものです。服はジャケットとコートがとてもいい。ズボンはまぁまぁ加奈?パジャマはとても楽しそうでかわいらしいものにした。本当はもっとほしい。白一色や、シルク、宇宙ガラ、ピンク色…。 |
家にかえって録音した自分の声をききました。なんてこったい。僕の声は想像した以上のまずい声だ。(※中略)服が理想通りにいき、着々と夢の国に近づいていったのに…。まあ、でも声のことを計算にいれてなかっただけだ。これから早めの努力をして声をステキなものにしよう。 (成立時期:中学3年3月26-7日) |
(声変わりに耳を覆っても、「もう、少年でない!」という声が、至極もっともに響いたことだろう。たえきれず絵日記もやめてしまう。カワイコぶっておきながら、生意気なんだか気弱なんだか)
(ほどなくショックから立ち直り、彼氏と出会うための計画表を書き遺しているが、なんというか、少し内容が・・・)
遺留品 : 砂井少年15歳の
![]() (成立時期:高校1年4月) |
研究 : ここでは全面展開せず4点に絞って読解
「16才の少年」
数ヶ月先の少年当人を指すが、他人じみた形容なのは、『世紀末少年誌』所収「少年譜」からの援用だからである。大手拓次「十六歳の少年」や、ハンス・ヘニー・ヤーン「マーマレードを食べる人たち」の一節「若々しい十六歳の微笑。御意のままに。」から採ったらしい。
16歳に対しても少年愛のまなざしを向けるこんな素晴らしい文章がある!という読解にすがることで、声変わりのショックからぬけ出したのであろう。
「闇/待」
これも『世紀末少年誌』頼りの一環で、「愛を享ける美少年の立場」を「夜陰に乗じて攫(さら)はれる体(てい)の感覚」(前掲書,p.31)とした表現に由来する。語法的に成立しないことで少年愛の不可能性をも示唆する洒落た表現だと思うが、単に誘われ待ちな意味で借用している。また、待つ以外の行動も採るよう漠然と指示してある。
この点から、少年愛の意味での少年になるための計画表だとわかる。
「良」
ここまで『世紀末少年誌』頼りなので、これもまた、同書所収「犬つれづれ」一節に由来すると思われる。「容貌(すがた)は美麗といふとも、その性(さが)毒悪なるものは、悪少年といはまくのみ。又容止(かほばせ)は醜しとも、その性の美たらんものは、美少年とこれをいはん。況(まいて)性と容止と、共に善美なるもの」
つまり、良い心のことらしい。砂井少年にとって良い心は、少年愛ならびに、少年愛の意味での少年になる志と、一体であることがわかる。
「時間」
切れ目をつけてねじってある。少年愛の意味での少年となり、永遠であるに値する一瞬を感じたら、水平に流れゆく時間軸とは別の時間軸に身を移せるという直感。
(道のりは遠かった)
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