《萌芽篇》-少年愛文学少年

(少年大好きな砂井少年15歳は、遅まきながら、自分も少年であることに気づきはじめた)※以下、自著「愛少年愛」(未刊)より、一部改変して抜粋。

『泰西少年愛読本』

 須永朝彦編『泰西少年愛読本』(新書館,1989.4)。その薫陶は、砂井少年の物語に欠かせない。

 ただし、この読書がゆえに少年愛に深入りしたのではない。既に深入りしていた。だからこそ、この古い書物に、お小遣いを溶かしたのである。

 その名のとおり泰西の文学上に描かれた少年愛乃至同性愛の様相をとりあつかった瀟洒(しょうしゃ)な本である。

「ヒュアキントスの死」「アポロンとキュパリッソス」というタイトルの、古典絵画の美少年たちでかざられている。

 装丁だけ見ても、地元のシケた日常とは別世界であり、異様な優美さが痛快であった。当時当地の男子中学生であったなら、まず読まないような本であった。自分だけが人知れず空を飛んでいるような、一種神聖なような気持ちであった。

 書物は、人生に崇高なものを探る眼差しで少年たちを見つめていたし、一方で、これまで退屈にあつかわれてきた自らの身体は、少年であった。

 知識としても初めて知ることが多く、とてつもなく魅かれた。オスカー・ワイルドの名前くらいは知っていたが、同性愛が罪に問われてきた悲しい歴史すら、このとき初めて知った。もっとも書物は、しれっとした態度をつらぬいていた。「同性愛者と異性愛者の相違は、たぶん家鴨と鵞鳥の違い程度である。」(前掲書p.213)

 今昔様々な少年愛が紹介されている。まずは古代ギリシアに始まる。これ以後の歴史では考えられないほど横行していた少年愛、その神話、哲学、文学。軍隊でも年長者と年少者の同性ペア制度を取り入れるなど、半ば社会制度化されていたような、現代人にはちょっとついていけない時代。その理想主義的傾向が失われ、歓楽色を強めた古代ローマの少年愛。

 やがてキリスト教勢力が台頭し、同性愛は断罪され、その情緒からはあっけらかんとしたところが失われ、それぞれの翳(かげ)りを帯びるようになる。例えば19世紀末オックスフォードおよびケンブリッジの「退廃派」学生連、その一人でもあったがワイルドの恋人で野心的な(?)美青年アルフレッド・ダグラス…等々。

 これらの人たちに影響を与えたけれど、お堅い一生を送ったのは、ウォルター・ペイター。漂泊のうちにヴェニスで死んだ少年愛者は、コルヴォー男爵。イギリス人ばかりでなく、大陸には、亡き美少年を崇拝するあまり秘密結社の盟主のようになったシュテファン・ゲオルゲがいる。秘めた情熱に懊悩(おうのう)するトーマス・マンもいる…等々。

 このように、それぞれの美意識を持つ、キャラクターの立った、少年愛にまつわる男たちが、一堂に会す書物でもあり、それは静かな圧巻であった――表紙カヴァーをはずした白と緑の書を開くのは静謐(せいひつ)な真夜中が似合っていて、常夜灯下に少年は、彼らの星座を見てしまった。

 おそらく、誤読の一種ではあろう。自分も新しく独自なる少年愛のありようを、少年愛の星座に輝く冥府魔道の男たちに問いたい、という気持ちは、このときにはすでに育まれていたのではないか。

 同時に少年は、ここに紹介された少年愛の多くを、あまり手放しで素敵とは思えない様子であった。こうした相反する思いが、次のような文言として残っている。

「シモンズ」か「コクトー」か

 乱歩と少年愛についてかいた須永朝彦の乱歩評にひかれ、同氏の『泰西少年愛読本』『世紀末少年史』を読んだ。そこでシモンズとかにいかず、なぜかジャン・コクトーのほうを読みはじめました。

(成立時期:高校1年)

 なお、文中、『世紀末少年史』は誤記、正しくは『世紀末少年誌』である。こうした誤記、また、不統一な文体からわかるように、文章を書くのは不得意である。一方で、知ったかぶった調子から、文筆家や読書家への憧れは推察される――その憧れこそ書物より愛おしかったのだろう。

 コクトーなど、まともに読んだのは「恐るべき子供たち」程度だった(鈴木力衛訳『恐るべき子供たち』岩波書店,初版1957.8第59刷1998.9)。ではなぜ、「コクトーのほう」と少年は主張するのか。そして、それがなぜ「シモンズとか」と比較されるのか。J・A・シモンズはイギリスの古典学者である。そもそも英語が読めて芸術の知識がなければ、「シモンズとかのほうへいく」ことはできないに決まっているのに、なぜ引き合いに出すのだろう。また、「とか」とは何事か。

 ――ここに、少年の読後感がこめられているのである。

『泰西少年愛読本』においてシモンズは、「ペイターと違って、シモンズは同性愛的主題に具体的かつ真摯な関心を示し、また自分の性向にも懊悩した様子である。内向的ながら粘り強いところがあったらしい。」(『泰西少年愛読本』p.244)と評され、これ以前に読んでいた江戸川乱歩『わが夢と真実復刻版』(東京創元社,1994.4)所収のシモンズ評のタイトルは「J・A・シモンズのひそかなる情熱」である。懊悩して、内向的で、ひそかなのである。

 一方、コクトーは、「二十代の末から常に年少の愛人を持っていた。(中略)どちらかと言えばレオナルド・ダ・ヴィンチ型の才人で、同性愛者の芸術家としては陰湿さを感じさせぬ稀有な例であろう。」(『泰西少年愛読本』p.263)

 少年は、これらのおそらく同性愛者であろう二人を、少年愛者として認識し、少年愛非実行の代表として「シモンズとか」、少年愛実行の代表として「コクトーのほう」を挙げているのである。

 少年が魅かれる少年愛は、陰惨と机上ではなく、清明と地上であるといいたいのであろう(シモンズやコクトーとは本質的に関係ない)。

 なるほど、『泰西少年愛読本』にはジル・ド・レイを始め、相当数の単なる児童への攻撃もある。自分の夢見た少年愛とは、情緒を異にするのである。それだからこそ、この少年愛文化史に変革をもたらす新たなかたちを空想したりもしたのだった。

 清明かつ地上の少年愛――さて地上にも清明はあるものか。少年はそれをまだ知らないが、机上のものと決めつけるだけの論拠も経験もありはしない。そして、清明な少年愛の情趣が、身に兆すかのような一瞬を、幾度となく経験してきた、15歳、中学の冬。

『世紀末少年誌』

 このとき、少年の言にもあったように、須永朝彦『世紀末少年誌』(ペヨトル工房,1989.2)も愛読していた。こちらは、少年愛ばかりでなく、様々なジャンルの文章が収録されている。

 少年愛の趣あるものは、まず巻頭の詞華集「少年譜」。古今東西の少年美をしのばせる詩文をちりばめ、ギリシア神話上の美少年をモチーフにした彫刻や絵画から、近世日本の歌舞伎若衆の似姿、映画「サテュリコン」のスチールまで、図譜も豊かに配されている。

 本編も、やはり少年美のかおる論考や物語などが多く収められている。少年の手記には、本書からの援用表現が時折認められる(メインコンテンツ内では、「初藍緑」「少年の絵日記と計画表」「少年の恋人像『博士』」でこの点を指摘する)

『泰西少年愛読本』とは違って、日本の衆道や歌舞伎を扱った論考がある。また、稚児物語「松帆浦物語」の現代訳は、殊に少年の求める清明さに近しいものを感じた。少年にとってそれらは日本文化史の初めて知る側面であったと思う。この頃、和服に前髪の美少年をたびたび描いている。なかには、あきらかに自己の理想像らしきものもある(メインコンテンツ内では、「少年の日記」に掲載)

 目の前の「中学」みたいのばかりが「日本」でない。この地にも、少年を夢見てきた人々の夢の跡があった。そして自らも日本の少年として、今この地に立っている。

もう児童生徒なんかじゃない

 砂井少年にとって、あらゆる良心と分かちがたく、慈悲深く、融通無碍(ゆうづうむげ)な、美少年性と少年愛。それは今般、現実になじまない位置に押し込められ、逆に稚児崇拝の時代には、少年による選択に欠けるようだ。この見果てぬ夢が、今やその身に兆している事実は、永らくおとしめられてきた少年の身に飛翔力をあたえていた。

 羽ばたく少年の下界には、例えば、子どもたちのマスゲームが広がっている。霜の降りる季節、あるいは炎天下、かの身を浴した教育機関の行事であった。拒絶するほどの何物をも持たず、屈辱の中で旗を振った。それでも、少年は可憐ではなかったか。

 マスゲーム上、児童生徒は、無神経な「保護育成」の扱いを受ける身のほどに過ぎなかったが、少年愛の世界では、人生に崇高なものを探る眼差しで見つめられるのである。なるほど、少年をマスゲームの駒に使用する者たちにとって、少年愛は罪にならざるをえない。

 少年愛者こそ、少年を美少年たらしめる最大の存在である。元少年の喪失感と、少年美を愛した歴史をもってして、真剣に想われるとき、想い人の前では、少年は問答無用で美少年となる。しかも、恋愛者となった少年にとって、愛する者の前以外に、身を置く時間や空間などあろうか。他のすべての時間と空間は、もはや少年に追いつけない。

 少年愛関係の中で心から美少年と呼ばれた者なら、どんなに粗末な過去現在未来に囚われようとも、その少年性はあざやかに脱出する。それが、少年の一大発見なのである。

 机上とはいえども――。

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