少年愛のリスクと対策

=少年愛および世代間性愛の当事者児童にとってのリスクとは=

 ぼくはいわゆる性愛に関して、その実現を望まないため当事者ではないです。しかし、少年愛者として知りえた限りにおいて、少年愛のリスクと対策を大まかに示し、聡明なる少年諸君のリスク対策に資したいと思います。

 詐欺でない真剣な恋愛の場合において、だいたい以下のリスクがあるでしょう。

 1.人間とのふれあいそのものによる、心身のリスク
 2.当事者間パワーバランス不均衡から派生する、心身のリスク
 3.その関係がその社会で罪悪視されていることから派生する、心身のリスク

 すべて、対人関係ではだいたい発生するリスクであり、世代間性愛当事者児童だけに限ったオリジナルなリスクではありません。ただし、3のリスクだけは、貧富や知能や健康状態に差がある成人間・同世代間性愛よりも、今のところ強いです。

 罪悪視されるている関係の関係者は、迫害されるリスクが発生します。住処や糧道を攻撃されたり、場合によっては常識的価値体系とも法律とも別の価値体系で生きざるをえません。関係を回避できるなら回避したほうが、短期的にはよいでしょう。

 しかし、長期的には、罪悪視を温存してしまうため、リスク強化になります。第一、回避できない人も現存し、息をし、恋をしているのです。リスク回避(性愛の回避)だけでなく、リスク除去(性愛罪悪視の除去)も必要です。

 つまり、他の性愛と同様に1と2のリスクを警戒しながらも、禁圧により3のリスクを高めるのは、やめるようにしたいものです。応急的・短期的な対策と、抜本的・長期的な対策とがあるものです。

 もっとも、2の不均衡が強いなかでは、3の罪悪視こそ児童保護と目されているのでしょう(現実には保護になってませんが)

 なので、2の改善、すなわち児童個々人に応じたエンパワーメントも欠かせない対策です。特に交流や身体リスクの低い行動に関しては、児童個々人本来の能力を発揮できるよう、サポートのみならず親権の謙抑や各方面の参加権も必要でしょう。

 なお、上記3つのリスクを勘案してもなお、少年にあこがれたり、少年として愛される、ほんの一瞬の時間は、何物にも代えがたく、ぼくの全ての良心と分かちがたいものです。こと、砂井少年に関して最も大きいリスクを言うなら、上記3つよりも、これです↓

 4.少年愛が、えられないリスク

 ――少々雅味に欠ける話題だったかもしれません。しかしもっと大味なのは、非情な短期的対策しかない現代生活です。抗うには、リスクを無視したり過度に重視することなく、リスクを勘案してなお自由を採ることが必要です。

 そこで少年愛にもこんな話題をひと品そえてみたかったのですが、亡き少年以外の人の口にも合うような材料やソースの工夫が課題と言えましょう――。

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