石版とは何か

 石を記録媒体に用いたものです。ぼくは少年愛の石化も検討しています。

 ある山村で小川の流れをさえぎっていた巨石こそ、この巨大アンモナイトの化石である――などを、少年は博物館でみました。ぼくも、このサイトも、化石のようではあるけど、このアンモナイトの互換性には遠くおよばないのです。

 電子データなんてすぐに互換性が失われてしまいます。それに比べて石はなかなかです。一部の鉱石だとすぐ溶かされて別のことに利用されそうですが、単なる石は当面貴重になりそうもないので、なかなかです。

 墓地は、信用なりません。ずっと管理されるなど到底期待できないことです。石版は深く埋めて、相当の年月を経なくては、時代にそぐわない罪で砕かれてしまいます。

 そうこう思案しているうちに、ぼくの頭が石に砕かれて死にかけました。事故で石柱に強打したのです。このとき悟りました。人はもろい。やはり石しかない。

 石版にプラトニックな少年愛の悲願を刻みつけ、遠い未来に発見されるのです。そういう趣味の少年的存在に憐れまれるもよし、少年的存在自体の一部になるもよし――。

 おそらく、何事もなしえず、同じようなことを考えた人はたくさんいたと思います。だから、遠い未来は、そういう我々が遺した残念な石版であふれた、愉快な世界になっていると思います。

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