少年愛とは何か

 当サイトで言う少年愛とはどんなか。ひいては、少年とは、恋愛とは、何であるか・・・これをハッキリさせたいと思います。当サイトに限定した見解のため、普遍的定義とは多少の差があるはずです。※以下、自著「愛少年愛」(未刊)より、一部改変して抜粋。

少年愛とは何か

 広義には、@おもな構成員に少年がふくまれる恋愛関係A少年に向かう性嗜好、とする。

 狭義には、広義@のうち、構成員が全員男性の場合を指し、その基調は、少年への思慕と、思慕されて悪い気がしない少年の心情、とする。

 この狭義こそ、当サイトのメインコンテンツとなる品々を遺した少年における、少年愛の語義である(メインコンテンツ参照)。したがって、当サイト上では、特に説明がない限り、狭義を指して少年愛とする。

「少年愛者」とは少年を思慕する者を指す。狭義の少年愛の場合、その性別は男性である。

「少年」とは何か

 年若い男性のことである。さらに、私は、そのような存在として自他どちらか一方にでも認められてさえいれば、いかなる存在も、少年と呼ぶ場合がある。

 しかし、特に説明がない限り、少年とは、私が年若い男性だと思っている存在のことを指し、その上限は17歳である。下限は特にないが、上限に近いほうが少年という呼称にふさわしく思える。

 17歳と18歳の差は、実体よりも、制度慣習にこそある。17歳以下は、性愛ばかりか、ネットすら自由にみれず夜も歩けない人権制限の渦中――この現実こそ、私の少年愛を強固にする。砂井少年随一の希望(少年愛の意味で愛されること――メインコンテンツ参照)を排斥する流れには逆流せねばならず、低年齢の恋人は具体的な逆流である。

(「愛少年」とは何か)

 男性少年愛者から思慕されていて、この事態に価値を見出している状態(積極的に思慕している状態から、悪い気がしないでいる状態まで)の少年のことであり、これは造語である。

 これぞという言葉が見当たらなかったため、省略表現用に、あえて造語した(例えば、稚児も若衆もショタも、思慕されることに価値を見出しているか否かに関わらない言葉なので残念)。――愛少年は、現実にも夢幻にも存在しないと考えられているらしい。

 それでも、砂井少年は存在した。砂井少年が、遅くとも15歳の時分、もっとも憧れた立場こそ、愛少年であり(メインコンテンツ参照)それは不幸でもなんでもない。

 ※自著では多用しているが、当サイトでは造語をさけたいので、なるべく使わないつもりである。

「恋愛」とは何か

 慕うこと、すなわち、遠い日にへだてられた半身を見出しては幻滅し、却って喜びと想いが増すようなこと。恋愛関係とは慕い合うことである。

 そして、砂井少年と私は、恋愛イデオロギーを、かなり肥大させたうえで、狭く区切ってとらえているので、その特質を表に示しておく。

 それは恋愛というより恋愛ごっこ、あるいは秘密結社員間における儀礼、とでも形容したくなるが、一般的な形態でないからニセモノというのは不適切であろうし、当人は真剣な恋愛ととらえているので単に「恋愛」としておく。

 もっとも、砂井少年が心から真剣なときはいつでも、遊んでいるときであったが――。

恋愛と性


 恋愛には、憧憬(しょうけい)と幻滅をくりかえす性的ファンタジーや、性交をともなうことが多いが、ともなわない場合もあり、私の場合は常に、性的ファンタジーをいだくが、いかなる性交もともなわない――性交の具体例が、広く見積もっても性器の介在するものであり、手に手をとってスキップすることではないならば。

恋愛と人数


 恋愛関係の構成人数は、様々であるだろう。ただし、少年と私の場合、純然たる一人(自分同士の愛)はふくまず、他者と望みあう奇跡を貴ぶ。

恋愛と期間


 恋愛の期間は、しばしば永続性が貴ばれるものの、制限はない。少年と私は、永遠性を貴ぶが、永続性はあまり気にしない。すなわち、永遠であるに値する一瞬を貴ぶが、水平に流れゆく時間の長短にはおろそかである。

 浮世は儚い。佳日は続くまい。人は脆い。天国では数日と持つまい。

恋愛と対価


 恋愛自体を目的としない種の、何か社会生活上に有用すぎる対価が支払われ受理されるような関係には、恋愛関係の美点を感じない。そのため、少年と私が想起する少年愛に、こうしたもの――金銭的に高価で有用なプレゼント、就職あっせん、社会上決定的に通用するステータス、家族神話の代用品、暴力を背景にした庇護など――は、ふくまれない。

 少なくとも、ふくみたくない。社会生活に有用な対価の前では、恋愛という無用への情熱など、おかざりに過ぎない。恋愛は対価に敗北するということ。

 ただし、社会生活に無用なもの――例えば、百万本の薔薇の花ぐらい最高にガラクタなプレゼント、少年愛に生きるという極北の人生を歩む指針、夢心地など――なら、恋愛的だと思われる。そうしたものなら登場する。

恋愛と代償


 切腹や心中など、死ぬほど強烈な代償のある恋愛も、少年と私の想起する少年愛からは距離がある。

 ただし、少年愛に人生をかたむければ、これを害悪視する者が優勢なのだから、生活上の困難はありがち。恋愛はこうした他律的な代償を内包しつつ、反逆する。

 少年愛でなくても、周囲みんなから温かく見守られる恋愛などまれであろう。

定義に思うこと

 こうして定義してみると、少年と私のいう恋愛とは、恋の他には何もいらないほどの思いで結ばれ、ガラクタの交換やスキップに至り、わずか数日で日常に負け、しかも死に損ねるという有様である。

 相手を特定せず定義を試みたせいでもあるが、あまりに現実感のないものに思える。それでいて、あまりに実人生でもある。

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